Tweet | Sept. 2, 2019 | |||||||
眠れぬ夜のための錯視 第1話 | ||||||||
-ザンダー錯視のメタモルフォーゼ- | ||||||||
Optische Taeushung fuer schlaflose Nacht | ||||||||
新井仁之 | ||||||||
早稲田大学 教育・総合科学学術院 | ||||||||
スイスの思想家にカール・ヒルティ(1833-1909)という人がいます。彼は法律家で、弁護士、大学教授、裁判官なども務めましたが、『幸福論』のような著作も残している思想家でもあります。そのヒルティが1901年に『眠られぬ夜のために』という本を出版しました。この本は、眠れない夜に、ただベッドでもぞもぞしているのではなく、いろいろと自分について考えて見ましょうという本です。 このサイトは、今年がヒルティの没後110年ということもあり、ヒルティの著書にちなんで、眠れない夜に錯視と題して、錯視図形にいろいろと思いを巡らせていこうというものです。 |
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ということで、眠れぬ夜に、ザンダー錯視と呼ばれている錯視をもとに考えたいろいろなメタモルフォーズをご紹介します。これを読んでいて、もし途中で眠くなってまいりましたら、どうぞ遠慮なくご就寝ください。 | ||||||||
1.ザンダー錯視 | ||||||||
次の図をご覧ください。 | ||||||||
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図1 ザンダー錯視(この名称については第4節参照) | ||||||||
『えっ!数学の問題?』 | ||||||||
いえ、ちがいますのでご安心を。図1の線分 AX と線分 AY を見比べてみてください。どちらが長いと思いますか? | ||||||||
多分、多くの方は AY の方が長いと感じられると思います(*)。しかし、実際は AX の長さと AY の長さは同じです。これはザンダー錯視と呼ばれているものです。 | ||||||||
(*)錯視は人の感覚に係わるものなので、見え方には個人差があります。もし同じに見えるという方は、気にせず、AYの方が長く見える人も世の中にはいるのだと思って読み進めてください。 | ||||||||
なぜこんな錯視が起こるのでしょう。あくまでも一つの説ですが、ドイツの心理学者メッツガーという人が『視覚の法則』という本で、私たちは平行四辺形を見るとゆがんだ長方形だと思い、それを立てて長方形にする傾向があるというようなことを述べています。実際に、図1をPhotoshopのシアーを使って直立させると次のようになります。 | ||||||||
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図2 メッツガーの説を視覚化。図1をPhotoshopのシアー機能で直立させた図 | ||||||||
確かに AY の方が AX より長くなっています。 | ||||||||
ここでは触れませんが、他にもいくつかこの錯視の説明が知られています。 | ||||||||
2.ザンダー錯視のメタモルフォーゼ | ||||||||
眠れない夜なので、ザンダー錯視を使って想像を膨らませてみましょう。なお以下の変形は私が眠れぬ夜に行ったものです。 | ||||||||
平行四辺形を直立させないで、いっそ寝かせたままにしてくと・・・。せっかくだから何か台の上に寝かせてみます。 | ||||||||
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図3 ザンダー錯視の変形(赤い線と青い線は同じ長さ) | ||||||||
なんだか積み木のように見えてきました。積み木ならばらばらにしてしまいましょう。 | ||||||||
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図4 ザンダー錯視の変形の分解(赤い線と青い線は同じ長さ) | ||||||||
このうちの二つのピースに焦点を当てます。 | ||||||||
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図4 ザンダー錯視のピース(赤い線と青い線は同じ長さ) | ||||||||
さて、これからこの二つのピースを重ねたり、少し変形したりします。眠れない夜にこういう想像をしてみるのもおもしろいでしょう。 | ||||||||
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図5 ピースを重ねたりしてみる(赤い線と青い線は同じ長さ) | ||||||||
なにしろ夢うつつの状態ですから、変形は自由に思うままにします。ただし赤い線と青い線の長さは変えないように。たとえば・・・ | ||||||||
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図5 自由に変形(赤い線と青い線は同じ長さ) | ||||||||
さらにこれをびしゃっとつぶします。 | ||||||||
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図5 変形してつぶす(赤い線と青い線は同じ長さ) | ||||||||
赤い線と青い線は同じ長さなのに、青い線の方がやや長く見えます。 | ||||||||
ところで、これに少し似た錯視がありました。フィック錯視です。 下の図の右がフィック錯視。そして左が眠れぬ夜の錯視です。 | ||||||||
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図6 左が眠れぬ夜に作った錯視。右はフィック錯視。赤い線と青い線は全部同じ長さ | ||||||||
眠れぬ夜の錯視とフィック錯視には大きな違いがあります。眠れぬ夜の錯視は青い線の方が長いのに、フィック錯視では青い線の方が短く見えています。実際はともに赤い線も青い線も同じ長さです。 | ||||||||
さらに眠れぬ夜の錯視の方を今度は少し単純なものにしてしまいましょう。 | ||||||||
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図6 眠れぬ夜の錯視2 (この図の赤い線と青い線の長さは同じ) | ||||||||
図6中の青い線と赤い線は同じ長さなのに、青い線の方が赤い線より長く見える錯視ができあがりです。元の図は図1のザンダー錯視ですが、眠れぬ夜に、ぼーっとしている頭でずいぶんと絵を変形してしまったものです。 | ||||||||
3.眠れぬ夜の錯視2と既存の錯視を比較 | ||||||||
図6の錯視って、何かどこかで見たことあるような気もします。こんな錯視に似てなくもない。 中央が図6の錯視です。 | ||||||||
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図7 眠れぬ夜の錯視2(中央)に似た古典的錯視 | ||||||||
図7の(1)は有名なジャストロー錯視です、AとBは合同なのにBの方が大きく見えるというものです。(2)が今回の錯視で、EFの方がCDより長く見えますが、EF=CD です。もし CD、EF が弧ならば、何となくジャストロー錯視に似ているような気がします。ルーツはザンダー錯視ですが、変形後はジャストロー錯視に近いかもしれません。 | ||||||||
もう一つ似た錯視が図7の(3)。これはラスカ錯視と呼ばれているものです。1890年にラスカが発見したものとされています([6])。(2)との違いは、(2)は CD と EF が平行なのに、ラスカ錯視では GH と IJ は角度が違います。ラスカ錯視は角度の違いを特徴とする錯視です。 | ||||||||
5.その他のメタモルフォーズ | ||||||||
少し位置を変えたり、図を変えたり、色を変えたりしたものです。 | ||||||||
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図8 | ||||||||
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図9 | ||||||||
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図10 | ||||||||
6.錯視豆知識 | ||||||||
今回の話はザンダー錯視から始まりました。しかし、このザンダー錯視、じつはザンダーが最初に見つけたものではなく、すでにルキーシュの本「Visual Illusion」に出ていたことが知られています。ザンダーが発表したのが1926年、しかし ルキーシュの本は 1922年に出版されています。このことは Wikipedia、そしてそこに引用されているコールマンが著した「A Dictionary of Psychology」(心理学事典)に詳細に記載されています。 | ||||||||
では、なぜ図1をザンダー錯視と言うようになってしまったのでしょう。『錯視の科学ハンドブック』には「Robinson(1972/1998)によると,Sander(1926)が示した」と記されています。つまり、少なくとも1972年にはザンダー錯視という認識があったようです。 | ||||||||
引用文献 | ||||||||
[1] W. メッツガー(盛永四郎訳)、視覚の法則、岩波書店。原書 1953. | ||||||||
[2] M. Luckiesh, Visual Illusions: Their Causes, Characteristics and Applicaitons, Van Nostrand, 1922. | ||||||||
[3] Wikipedia ザンダー錯視 | ||||||||
[4] 後藤・田中編、錯視の科学ハンドブック、東京大学出版会、2005. | ||||||||
[5] A. M. Coleman, A Dictionary of Psychology, 4th ed., Oxford, 2015. | ||||||||
[6] J. O. Robinson, The Psychology of Visual Illusion, Dover, 1972 | ||||||||
履歴 | 1st ver. Sept.2,2019 | |||||||
2nd ver. Mar.11,2023 (minor changes) | ||||||||
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